松本市生まれですが、父の転勤により8歳から関東圏で育ちました。成人し東京で会社員となり都会生活を満喫していましたが、両親と共に松本市に移住しました。私を待っていたのは、意外にも楽しい松本生活でした。
松本市に移住した理由
「松本にもう1軒家を建てる」ある日父が宣言しました。
当時、私たち家族は千葉県千葉市に長年住んでいました。父は定年を控えていて、私は30代の会社員でした。家族一同異論はありませんでした。
土地は祖父が残してくれた松本近郊の、田園と住宅が程よく溶け合った場所です。近隣の住宅や風景に溶け込む家ができました。
家族の誰もが「セカンドハウス」という認識でした。
後年父の定年延長勤務も終わり、高齢化した父の希望と家族の同意で、千葉市から松本市に移住することになりました。
両親が先に松本市に転居。2年後には私が東京から移住し、引っ越し作戦が終了しました。
松本のセカンドハウスが「終の棲家」となりました。
松本での2つの挑戦

ボランティアや在宅ワークを開始
松本市の暮らしに慣れてきたころ、松本城の英語ボランティアガイド団体に入りました。
貿易会社での経験や語学力が生かせると思ったからです。案内した海外からのお客様の「ありがとう」の言葉が、私のエネルギーになっています。
また偶然見たテレビ番組がきっかけで、クラウドソーシングの会社に登録をしてみました。幸いすぐにライティングの仕事を継続的に頂くようになりました。
在宅ワークを開始して暫くした時、松本市の広報で「在宅ワーカー養成講座」が開かれることを知りました。
運良く「記事作成コース」を受講できることとなりました。週1回4ヶ月間、市内のコーワーキングスペースKnowersで、先生たちの丁寧なご指導を受けることができました。
共に学んだお仲間は私の財産です。勇気を出して獲得した勉強の機会を無駄にせず、求められる仕事を完遂できる在宅ワーカーとなれるよう精進を続けます。
一連の体験をした結果、地方でも在宅ワークで最先端の働き方ができることを実感できました。
車の特訓や熟年体育大学
便利な東京暮らしでペーパードライバーだったため、移住してすぐに運転の練習を開始しました。長野県は国内屈指の車社会だからです。
家族を助手席に乗せて特訓すること半年、買い物や通院に不自由なく運転できるようになりました。1年で城下町の路地も怖くなくなりました。
車を乗りこなせることで、松本市での行動範囲が広がりました。
松本市では「健康寿命延伸都市」の創造を目指していて、健康に関する講座や教室が数多く開かれています。
私も「松本市熟年体育大学」に入学して、10名ずつの班行動をするようになりました。松本市での初めての友だちはこの熟年体育大学で出会った方たちです。
「東京を離れたら、友だちなんてもうできっこない」と決めつけていましたが杞憂でした。人と交流する楽しさを実感して、私の心の鎧が消えました。
松本市に住み始めて3年、とても楽しく幸福だと実感します。
松本移住が私にもたらしたものとは

東京で会社員として働いていた時には予想もしていなかった大きな変化がありました。
松本市に移住してライフスタイルが激変したことにより、今生きる松本で、自分自身のできることを一歩一歩行える人間になっていました。
気付いたら人生が2倍3倍も楽しくなったのです。
そして以前より物事の捉え方がポジティブになり、行動がアクティブになったことでQOL(生活の質)が格段に向上しました。
友だちに囲まれた笑顔の多い生活や、美しい自然に囲まれた日々の生活が心から
幸せだと思えるようになりました。
都会にいたのでは味わえない、身近な楽しさや幸せに敏感になりました。
まとめ
ライフスタイルを変えるには勇気が必要でした。松本市での新たな人とのつながりや、挑戦を乗り越えたことで、考え方が前向きになりました。環境の変化を受け止め、乗り越え、人生の本当の喜びや深みが分かりました。