やりたいことじゃない。それでも恩を忘れずただひたすらに目の前の仕事をこなしてきた。
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7歳と3歳の二人の男の子の母、女優 篠原涼子。
群馬県桐生市で3人兄弟の末っ子として生まれ、2歳のときに母親を亡くし、父に男手一つで育てられました。
今でもやりたいことは歌を歌うこと
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今はドラマ視聴率女王として名高い篠原涼子。
16歳で芸能界デビューし、25年以上たった今でも、本当にやりたいことは歌を歌うことだと言います。
1994年、小室哲哉プロデューサーの「恋しさと切なさと心強さと」で日本レコード大賞を受賞し、一躍トップ歌手となりました。しかし翌年に小室ファミリーを離れて以降は歌が売れず低迷。大好きな歌を続けたくて自身で歌詞を書いたりもしましたが、結局ヒットには恵まれず、小室哲哉の力で売れていたと思い知ったそうです。
歌以外の活動をしなければならない、自分の目指す方向と全然違うともがく日々。
大好きな歌なのに、それを仕事としていくことができない。
演技を褒められたことがきっかけとなり23歳で本格的に女優として活動していきます。
女優として成功しても、やりたいことは歌を歌うこと。
それでも、「歌以外はやりたくないと言って周りの人を困らせたくない」という揉め事嫌いな篠原涼子は、与えられた仕事を無我夢中にこなしていきました。
バラエティ番組でコントをしていたバラドル時代、歌手としての成功と挫折、女優としての称賛。
「器用なわけではない、センスがあるわけでもない。
「デキル女」じゃないからこそ、自分や周りが納得するまで一生懸命まっすぐに取り組む。」
プライベートを充実させたいと切望した30代
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20代で出会えた人たちに感謝の念を忘れることなく、自らが理想とする「意志の強い人」となり30代を迎えます。多忙極まりない毎日の反動で、プライベートを充実させたいと切望していた頃、市村正親と入籍します。
30という女性の人生の岐路に立ち、女優としてのキャリア、歌という自分が本当にしたいことへの葛藤があったと言います。
そんなことを感じさせず、結婚後は主演作品が増え、女優としてどんどん活躍していきました。
「人生の最高のパートナーと出会えて、仕事をやめれば自分の魅力が減ってしまうと思えた。」
篠原涼子が母親として妻として羨望される存在でいるのは、彼女が人生の最高のパートナーに出会えたから。
そして今またがむしゃらに仕事したいと思っている40代
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仕事とプライベートの両方が充実していることで、互いによく影響して、心のバランスがとれるということを実感してからは、仕事を長く続けていくために「仕事を楽しむ」という姿勢を大切にしたいと語っています。
そのために篠原涼子が心掛けていることは、一緒に仕事をする人を好きでいること、そして体調を整えておくこと。
病気の夫を支えるためや子どもの受験のために女優業を休業する。
キャリアも大切だけれど、自分と家族の人生を守るために、キャリアを一時手放す勇気も必要。
目の前のことに真摯に向き合う姿勢があれば、望む人生を描いていれば、それを自分次第で手に入れることはできるのです。
誰もが羨むあのチャーミングな笑顔の裏には、自分が大切にしたいことを心にしっかりと持ち、そのためにストイックに取り組む努力がありました。